AguWheyPiggy’s blog

現在育休中の2児の母(3歳♀0歳♂)のブログです。ジャンルに拘らず、思ったこと、感じたことをあるがままにアウトプット!

娘に学ぶありがとう♡

子供から学ばせられることが多い母ちゃんですが、今日はその中でも特に見習わなければと思うことの多い「ありがとう」について。

とにかく娘の「ありがとう」が素敵なんです☺️
今4歳になったところですが、3歳になったあたりから、素敵なありがとうが増えてきて💕

例えば、保育園で昨年担任だった大好きなY先生がたまたまスポットで午後に娘のクラスの保育に入って下さった時、「Y 先生、今日は○○組さん(娘のクラス名)に来てくれてありがとう♡」と言ったそうな。Y先生はそれ聞いてもうキュンキュンでした♡とおっしゃってましたが、親の私も聞いてキュンキュン💕なんて素直で可愛いの!笑

また、ある時は保育園のお迎えに行った際、調理室に寄ってから帰りたいとのこと。理由を聞くと、「お給食の先生にいつもお給食作ってくれてありがとうって言いたい」とのこと。そんな言葉を聞いたら、お片付けで忙しい時間かなという懸念は吹っ飛んで、どうぞいってらっしゃ〜い!と送り出す私。食べることが大好きでお給食の先生とも仲良しの娘らしい「ありがとう」。でもそれってほんとに大事なありがとうだよね。毎日当たり前になって感謝の言葉を忘れがちな自分を反省。別に何か節目とか特別なタイミングじゃなくても、ちゃんと自分からそれを伝えに行くことって意外と勇気いるもの。娘のその姿勢には脱帽。

また、先日娘がもう布団に入り、眠るのを待っているタイミングで主人が帰ってきたときのこと。私は内心、あとちょっとで寝るところなんだから、、と思ったものの、娘は寝室のドアの向こうに向かって「パパ、早く帰ってきてくれてありがとう!」と一声。そりゃパパはめちゃくちゃ嬉しいと同時に、もっと早く帰ってこようと思うようになるよね。娘は純粋に自分が意識あるうちに帰ってきてくれて嬉しかったのでしょうが、腹黒い私は、自分の望んでるように人を動かせるためにも「ありがとう」って使えるなと思ってしまったのでした😂😂😂

長々と書きましたが、自分の言葉できちんと感謝の言葉が伝えられる子になってほしいと願っていた私ですが、とっくにそれはできるようになっているようで、逆に私が学ばせられている今日この頃です。

思いを言葉に紡ぐこと

100日以上更新していなかったこのブログ。
3日坊主にすらならず、わずか2記事で終了。また挫折。と思っていた。
それが久々に書きたい!と思わせてくれる本に出会った。今日はその紹介。


タイトル:「言葉にできるは武器になる。」

電通のコピーライターの方が書かれている本だが、
誰が書いたかは後から知った。

完全にタイトルにビビビときて手に取った。なぜなら、小さい頃から自分の思いを「言葉にする」ことに対して、ものすごく苦手意識を抱いてきたから。伝えたいことは心の中にモヤモヤと沢山あるのに、それをうまく言葉に落とし込めない歯痒さを感じてきた。それは、自分が幼少期に海外に移り住み、日本語が完全になる前に英語が入り、結果的に両方中途半端になったためだと思っていた。そして、未だにその状況を脱しないのも、言語能力のせいかなと。勿論、20年以上前の環境を言い訳にすることには恥じらいを感じ、口にはしなかったのだが。

しかし一方で、たまに自分の思ったことを時間をかけて言葉に紡ぐと、思いの外反響があり、もしや私は文章を書くのが実は得意?と思ったり、他人からそのようにお褒めの言葉をいただく場面も何度かあった。

だからか、もっと自分の思いを「言葉にできる」ようになれば何かが変わるかも、と潜在的に思っていたようだ。そうして通りがかりに手に取ったこの本。点と点が線になっていくような感覚を味わった。

この本では、自分が普段頭の中で物事を考えている際に頭の中で発している言葉を「内なる言葉」と呼び、それを日々意識し、深めていくことこそが言葉の重みを作ると説いている。そしてそのための具体的な思考法を記している。

思考法そのものは、ロジカルシンキングの類の本でかつて読んだことがあるようなもので、斬新さを感じるものではないのだが、そもそも自分の「内なる言葉」に向き合い、それにその思考法を適用するということそのものが、目から鱗だった。

これだ!と思った。
私が自分の思いを言葉にできないのは(少なくとも今は)言語能力のせいではなく、そもそも自分の頭・心の中で考えていることに十分向き合い、整理整頓しきれていないからだと。色んな思いや言葉がとっ散らかっている状態に呑み込まれているからだと。そして、そうではなく、きちんと自分の内なる言葉に向き合えている時は、自分にとってなんてことのない呟きやアウトプットが、人の心に響いて嬉しい感想やらお褒めの言葉をいただくのだと。確かにそういった時は、自分の心の中にあることをそのまま言ったに過ぎないのになぁと思っている自分がいるもんな。

私に必要なのは、自分の心の声に耳を傾け、自分と向き合うこと。その練習を重ねることだったんだなと。妙にしっくりきた。
そしたら突然、なんとなく億劫になっていたブログの更新もやりたい!と思えるようになった。

アウトプットが下手でアウトプットが少ないという自己認知から、アウトプット力をどう鍛えるか、どうやってアウトプットを増やすよう自分に発破をかけるか、何冊か本を読んできたし、それはそれでどれもフムフムとは思いながら読んではいたが、なかなか重い腰が上がらないでいた。だけどこの本を読み、アウトプットを増やさなくてはという義務感からではなく、自らそうすることを望んで、もっとアウトプットしよう!と軽やかに思えるようになったことが私にとっては大きな収穫。

自分の内なる言葉を見つめ、今後はもう少し頻度高く自分の思いをあるがままにさらけ出していきたいと思う。

我が家の教育方針

教育方針というほどのたいそうなものではないが、私と旦那の考えが色濃く出る出来事があった。

3歳の娘の通う保育園のクラスで、数名のママ達が発起人となり、クラスTシャツ作りが進められている。白地に、女の子はピンク字、男の子は青字でデザインが入れられることに決まったのだが。我が家は娘に聞いたところ、青が良いとのことだったので、女の子だけど青字にしてもらった。たぶん変な親子だと思われてるんだろうなと思うものの、そこは気にしない気にしない。変な奴だと思われても、敢えて娘に選ばせる我が家の考え方の背景は以下2点。

1. 自分で意思決定する習慣をつけさせること
勿論まだ3歳なので何でもかんでもというわけにはいかないが、親が勝手に決めるのではなく、自分自身で意思決定する練習を積んでほしいと思っている。その方が納得度も高いし、将来的には自分の選択に対して責任ある行動がとれるようになると思うから。また、自分の好きなことや自分が何を望んでいるのか、常に自問自答して自分らしく生きてほしいというのも根底にあり。その分、親は子供がどんな選択をしようともそれを受け入れ、見守っていかないといけないので、既に時々めちゃくちゃ口出ししそうになるのを耐えるのに必死ですが(耐えられてない時もある^_^;)。どんな選択をする娘であっても、それが娘の選択だと認め、あるがままの娘をちゃんと愛せる親でありたいな〜と思う次第。

2. 固定概念や既存の枠組みにとらわれない子になってほしい。
「女の子は○○」のような固定概念や既存の枠組みにはとらわれない子になってほしいと思ってる。理由は更に2点に分けられる。
まず、どんな人間とも偏見など持たず、フラットに関われる人間であってほしいと願うから。今回のケースで言えば性的マイノリティの人はどうなの?と思う。きっと「女は○○」「男は○○」といった括りに苦しめられる人もいるのだろう。自分自身が幼少期に人種のるつぼと言われる米国で過ごし、クラスに日本人は1人、アジア人でも2、3人というマイノリティだったし、さすが多国籍国家だけあり、かなり小さい頃からみんな一人ひとり違うからこそ素晴らしいという教育を受けてきたためか、そういった違いを個性として尊重し合うことの重要性は叩き込まれてきた。マイノリティの人に出会った時に、変に気を遣うのではなく、フラットに人と人として関われるよう、要らぬ枠組みは自分の子供達にも作って欲しくないと思っている。
また、更にもう少し壮大な話にもなるが、小さな固定概念や枠組みの積み重ねが、柔軟な考え方や新たな何かを生み出すきっかけを阻害しかねないとも思っている。自分自身がたいそう頭の固い人間で、常日頃自分がこれまで勝手に築いてきた枠組みが自分を邪魔していると感じることが多々あるから、せめて親の力が大きい幼少期だけでもそういった固定概念はなるべく作らせたくないなーと思っている。良い意味で常識のない子になってほしい。

そんな育て方をしているからか、好きな色は緑、そして電車や車などの乗り物好きという、世間一般からすればがっつり男の子のような趣味のおてんば娘。基本的には我が道を強く突き進め!の両親なのですが、女の子の世界は年が上がるに連れて色々あるので、この先それで思い悩むことがあった時に、きちんと娘に寄り添い、分かってあげられる親であれるか、両親が似通った考えの人間だからこそ不安もあったりはする。

子育て。
これからきっとどんどん悩むことが増えていくのだろう。介入しすぎずも寄り添える、そんな親でありたい。

母校文化祭とブログ開設

3連休最終日の今日はご先祖様のお墓参りへ。
行く途中に今日は母校(中高一貫私立女子校)の文化祭だと気付き、同じ方面なので立ち寄ることに。
2年前に部活同期と子連れで行って以来。旦那を連れて行くのは初。息子も勿論お初。

卒業から13年も経ってるし、家族で行っても。。とも思ったが、結果、行って正解!

娘は駄菓子を買ってもらったり、舞台を見たり、体力測定をしたり。2年前と違ってそれなりに楽しめるように。
旦那は初めて見る女子校の世界が物珍しいようで、また、少し覗いたクラス毎の展示も視点が新鮮で面白いと楽しんでくれた様子。

そして私はというと、かつての担任の先生方に会え、とーっても嬉しかった。一番多感な中高時代を過ごした学校で、自分の良いところも悪いところもすべてを分かられている先生という存在は大きく、心の拠り所というのだろうか。ホッとする、自分に戻る瞬間かもしれない、と思える。

一方で、単にプラスの感情だけに終始しなかったのも事実。私は高校時代は勉強も部活も何事も全力投球、言ってみれば優等生だったわけで。それをリマインドされる度に、チクリとする。私は今、果たして過去の自分の目指してた大人になれているのだろうか。心のどこかで、勉強はできて、知名度はある大学に入れたけど、その先冴えないリーマン生活を送ってる勉強しかできない頭でっかちな期待はずれな奴というレッテルを貼られてると思ってる自分がいる。すなわち、自分自身がそう思ってるのだ。家庭を持ち、母になることで和らいだ感情ではあるが、逆に言うと逃げ場を見つけたにすぎない。

まぁそんな負の気持ちも見え隠れするのだが、どちらかというと今日はプラスの感情の方が勝っていて、あの頃みたいにもっときらきら輝く自分になりたい。もう一度自分を見つめ直し、逃げてばかりいる自分ときちんと向き合いたい。そんなワクワクが今日の私の心には宿った。先生の力だろう。

ただ、じゃぁ何をするのかというとそこから前になかなか進まない。好きなこと、自分の情熱を持てることに励め、というが、何を隠そう。私は自分の好きな食べ物すらまともに答えられないくらい、自分が何が好きなのか、分からない人間なのである。

で、自分の好きなことはどうやって探したら良いのかと考える。最近読んだ本や記事には、まずは何でもやってみることと必ず書いてある。そうそう、今は子育てで投資できる時間も体力も財力もないとあれこれ理由を付けて、考えるだけで何もやっていない自分がいる。出たよ出たよ、頭でっかちでdoが苦手な奴。行動できないから何も変わらない。

てなわけで、そんな成り行きでブログを開設するに至った。実はこの1年弱、何度も何度もブログを始めようかと思いながら、やってこなかったのだ。面白いことなんて書けないし、テーマも決まらないし、URLやタイトル考えるのめんどいし。とか。

というわけで、何がどうなっていくかわからないし、まずはやってみるかということでスタート。
ぜんっぜん書きたいと思ったことが書けてなくて既にモヤモヤだけど、、better than nothing!ということで。アップしまーす